※リクルート「進学カプセル」(2013年9月)掲載内容を転用しています。
「食」とは、すべてのいのちを支え育むもの。その「食」と切り離すことのできない「農業」。
この「食」「農業」を取り巻く問題が私たちの周りに溢れています。熾烈な価格競争、農薬や化学肥料、グローバル化する食卓…私たちの「食」はほんとうに安全で安心なのでしょうか?
コンビニのお弁当やハンバーガーに牛丼。街中に安い食品が溢れています。また、その原材料にもなる農産物の多くは海外から安値で輸入されています。あまりの安さに、少し心配になる人もいるかもしれませんね。食品を安く大量に作るための一つの方法は、保存料や添加物、合成食品を使うことです。海外の農産物が安いのは労賃が低いことや生産規模が大きいことも要因ですが、農薬や化学肥料の投入による生産性の向上が理由である場合も多いようです。
では、安い食べ物はやっぱり「危険」なのでしょうか? 一般的に言えば、化学物質の利用は私たちの身体にとって危険かもしれません。でも、それが何百年間か食べ続けた後に生じる危険ならばどうでしょう。また、短期的に影響は出るけれど、それが生じる確率が数億分の一の場合、そういった化学物質を使って作られた安い食品は本当に危険なのでしょうか? 意見が分かれるところです。
しばしば、「海外の農産物は安いけど危険だから、高くても国産農産物を買う」という声を耳にしますが、国産農産物の生産にも農薬や化学肥料は使われています。一般的に安全だと言われている食品でも、実際に安全かどうかはわからないし、価格の高低と安全性の高低を単純に結びつけることもできないようです。
大切なことは、私達自身が安全かどうかを判断するための知識を身に付けることです。そのためには、その食品を何処の誰がどんな方法で作ったのか、またそれはどのような流通ルートを使って、どれくらいの時間で私たちに届いているのか、何故その値段なのかなども知らなければなりません。食に関わる経済や社会のしくみを知ることで、「食の安全」についてこれまでとは違った角度から考えることができるかもしれません。
最近では、生活習慣病予防など健康維持を意識して、高塩分や高脂肪に敏感になり、体に良い食事を心がける人が少なくありません。また、栄養や美容を意識した若い女性が、食事代わりにサプリメントで必要な栄養素を摂取するというケースも耳にします。
これらは私たちにとって健全な食生活と言えるのでしょうか。
今の日本の食卓は大変バラエティに富んでいます。フレンチ、イタリアン、韓国料理に中華、一般的な家庭の食卓でこれほど食事が多様化している国は日本をおいて他にないでしょう。それだけ、食に対する関心が高いと言えます。食べたいものをいつでも食べられる豊かさの一方で、何を食べるべきかという選択は、一汁三菜が日常だった一昔前よりも一層難しくなってきています。
選択肢の幅が広がった結果、私たちが何を選んでどう食べるかは、どう生きるかにもかかわってくることになりました。食は、もはや生命を維持するためだけのものではなくなっています。一食一食をどんな視点で選ぶのか。健全な食を一食一食積み重ねていくことが、真に豊かな人生を紡いでいくことにつながっています。
そして、じつは、健全な食のヒントは身近なところにあるのです。例えば、各地の環境で生まれ受け継がれてきた郷土料理をはじめ、私たちの父親や母親が、そして祖父母が食べて受け継いできた日本の伝統食。その土地で育まれた伝統食を食べることは、日本の農産物の生産・消費にも深く関係しています。
グローバル化する社会で、多言語を習得するように多様な食を選ぶこともできるけれど、母国語がアイデンティティを生むように、伝統の食もまた私たちのアイデンティティを形成しているのではないでしょうか。こうした観点は、世界の食糧問題を考えるときに切り離せない問題でもあります。
食は楽しみであるとともに、人間に喜びをもたらします。食の生産、調理、食文化など、食のつながりが見えてくると、自分がこの瞬間に、食べ物を口にできることへの喜びを感じます。それが「いただきます」という感謝の言葉を生み出し、また私たちの健康や食の安全を考える第一歩となるかもしれません。
現在の日本では少子高齢化が進んでいますが、世界的な規模でとらえると、この数十年で爆発的に人口が増加。そして今後、世界中が食料難に直面することが予測されています。
もし農作物の成長を促すことで収穫量を増加できれば、この食料難問題を回避することができるかもしれません。植物の本来持つ能力を詳しく調べることで、その力を引き出すことができないのでしょうか。そうしたことが可能になれば、成長促進剤などの薬品を使うことなく、私たちが安心して口にできる農作物を十分に生産できるようになるかもしれません。
植物の本来持つ能力の代表といえば、光合成。葉緑体において、光と二酸化炭素を使って光合成を行い、成長に必要な栄養素をつくり出します。この光合成能力は植物により異なり、サトウキビやトウモロコシはイネの二倍の能力を持っています。これは光合成回路の違いによるものですが、近年、この詳しいメカニズムが解明され、その研究成果を応用して、イネの成長促進に適用しようという研究も行われています。まだ研究段階ではありますが、世界の主食の三分の一を占めるイネの成長促進が可能になれば、食糧にも多大な貢献ができます。
植物には、まだまだ一般には知られていない未知の力が秘められています。例えば、キャベツは、モンシロチョウの幼虫に葉をかじられると、幼虫の唾液に反応して化合物を放出します。その揮発化合物が発する匂いに誘われた寄生バチが、モンシロチョウの幼虫に卵を産み付けます。こうしてモンシロチョウは繭の段階で寄生バチに食べられてしまいます。キャベツは自らが食害されていることを化学シグナルに変換し、寄生バチと高度にコミュニケーションをとることで、結果、食害者にダメージを与えているのです。
こうした植物の持つ能力をよく知っているのは、じつは豊富な経験と知識を持ち日々植物に接している農家の人たちです。
龍谷大学農学部では、そうした農家の協力を得て、実際に畑で農作物を育てながら生命の仕組みや植物の持つ能力を探ります。そのなかで得た知識を応用し、私たちのいのちを育む安心・安全な農作物づくりの未来につなげます。
国土の小さい日本では、古くから限られた農地を活かして品種改良や栽培方法の改善を行い、単位面積あたりの収量を増やしてきました。同時に、収穫量を上げるために化学肥料と農薬に頼らざるを得なかったという事実もあります。
しかし、生産効率を上げるために使用した過剰な化学肥料と農薬が土壌汚染や水質汚染を招き、結果的にはその除去作業によって無駄なコストが発生します。また、化学肥料や水など農業に用いられる資源には限りがあります。実際、化学肥料で用いられるリン鉱石は石油より早く枯渇することが予測されています。したがって、旧来の「使い捨て農業」には限界がきており、今後は有機栽培を含めた「循環型農業への転換」が大きな課題になります。
とはいえ、化学肥料や農薬をまったく使用しないで農作物を育てた場合、どれほどコストがかかるのか、どれほど雑草管理が大変かは、私たちにはなかなか想像できません。化学肥料を与えるか、与えないか。農薬を使うか、使わないか。これらの課題に対して、現状は強固な反対者と強固な賛成者が意見を対立させることが少なくありません。
安全と思われている有機栽培にも課題があります。化学肥料の代わりに家畜のふんや生ゴミなどを発酵させた堆肥を使用しますが、堆肥化の技術は難易度が高く、堆肥化が不完全であるとアンモニアが多すぎ、かえって植物に悪影響を与えます。さらに、余分なアンモニアが流失すれば環境にも悪影響を与えることになります。そもそも私たちの知識が不十分であることがなによりも「食への不安」をあおり、問題を複雑化させているのではないでしょうか。
また、農薬の使用については、消費者が無傷で完全なものしか食べないことも過剰な農薬投与の原因となっています。「少しぐらい傷ついていても食べるよ」という消費の風潮が広がれば、生産の現場にも変化が出るかもしれません。
「環境」という言葉は、自然と人間とを切り離した言葉です。「環境」を対象化するのではなく、「私達も自然の一部」であるとの自覚が必要なのではないでしょうか。
龍谷大学農学部では、自然と人間社会のあり方について多面的にとらえ、持続可能な「食の循環」や「食の安全・安心」を踏まえた農業を、農業実習などを通じて模索します。